埋没してしまう   

代表作「花の洗礼」

きょうは洋画家 藤田嗣治(つぐはる)の誕生日だ。1886年生誕〜1968年逝去(81歳)。
陸軍軍医の子(4人兄弟の末子)として東京で生まれ東京美術学校を卒業後、27歳のときフランスに渡りピカソモディリアーニ、スーティン、キスリング等と交友を持ったようだ。
第一次世界大戦の間もヨーロッパに残り、貧窮の中で乳白色の地塗を施した画布に線描を生かした独自の技法を見い出した。
エコール・ド・パリと呼ばれる第一次世界大戦から1930年代にかけて活躍した外国人画家達の一員として脚光を浴び、名実ともにわが国が生んだ初めての国際的な芸術家だが、彼は海外で才能が認められ、日本では当時異端児扱いだったようだ。
また従軍画家として戦争絵画を描いたことで戦争協力者として過度の批判を受けた。それに嫌気がさしたのか、日本でのつらい過去と故郷を捨て、1955年 69歳の時に、かつて彼の芸術を認め開花させてくれたフランスに帰化した。
1959年 73歳でカトリックの洗礼を受けレオナルド・フジタと改名し、十字架の保護をもとめながら宗教絵画を描き続けた。
そして二度と日本に戻ることはなかった。
彼の場合は若い時にフランスで認められていたので、戦後 責められたときも受け入れてもらえるところがあったのだが、通常の場合は責められ続けたり無視されたりして、その才能が埋没してしまう場合が多い。
企業においても、一回の失敗で前途が遮断されるようなことがあると、誰も難しいことに挑戦しようとせず、企業の活性が失われ、結局 衰退を招くことになってしまう。
失敗を次へのステップと考えたり、仮に責任をとることがあったにしても、敗者復活がある仕組みにしておかないといけない。


藤田嗣治のことば 「私の体は日本で成長し、私の絵はフランスで成長した」


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