総合的に考えると   

スエズ運河

きょうはフランスの外交官でスエズ運河を完成させた  フェルディナンド・マリエ・デ・レセップスの誕生日だ。
1805年生誕〜1894年逝去(89歳)。
ヨーロッパの国々はアジアの植民地から物資を運ぶ方法として、紅海と地中海の間については、イギリスは鉄道を、フランスは運河による船を考えそれぞれ実行した。
スエズ運河の計画はナポレオンの時代からあったが、紅海と地中海の水位差が10mに及ぶとされ実行されなかった。ところがレセップスは、実際には1〜2mにすぎないことに気がついたようだ。それに陸地は最高所でも15m程度の平坦で20%は途中の湖を活用することができ、当時の技術においても比較的簡単な工事で、砂のくずれに注意すればいいだけだった。
とは言っても、焼けつく太陽のもとで黙々と土を掘る労働者は、のべ150万人のエジプトの農民が、無給で朝4時から夜10時までの強制労働にかり出された。重労働による労働者の死亡率は著しく高く、工事中の死者は少なく見積もっても12万人に達するといわれる。
レセップスは、労働者に「あなたがたが運ぶものは、単なる土ではない。あなたがたの家庭とこの国に繁栄を運ぶのだ。」と調子のいいことを言って鼓舞したようだ。イギリスは鉄道建設のときはエジプトの強制労働に頼ったが、フランスによるスエズ運河建設の強制労働をさかんに非難したようだ。結局鉄道は船に負けて廃止される。
スエズ運河は1859年に着工し10年後に、総延長160km・幅22m・深さ8mの大運河として完成した。これにより東京〜ロンドン間の場合、喜望峰廻りよりも距離が20%はぼ9000km短くなり日数は21日も短縮された。
調子に乗ったレセップスはパナマ運河も着手するが、疑獄事件に巻き込まれ失脚した。
物流の観点で見ると、途中を鉄道にすればその部分については早く運べるが、船〜鉄道〜船と乗せ変えが必要になり、その度に滞留が起き品質面でも問題があるので、総合的に考えると船で通して運んだほうが有利になる。
工場の物流についても、持ち替えや詰め替えおよび非連続な生産は、品質・コスト・納期のすべてにおいてマイナスの要因になる。


レセップスの本  スエズ運河 (朝日文庫)