自社を知る   

大槻も見たであろう栗駒山の夕陽

きょうは読める辞書として有名な「言海」の編集者、国語学者 大槻文彦の誕生日だ。1847年生誕〜1928年逝去(70歳)。
仙台藩士で蘭学者の祖父、儒学者の父という環境のもとに、七人兄弟の三男として生まれる。幼名 清復(キヨシゲともキヨマタとも)、三男であることから通称 復三郎(フクサブロウ)。26歳のとき文彦に改名する。
明治政府は、近代国家の確立のためには文教政策として国語辞典の整備が必要と考え、10人ほどの国学者を動員したが内部の対立で中断してしまった。そこで一人で編集作業を進める方針とし、大槻に国語辞書の編纂を命じた。明治の人間の気概というか日本人としての強烈なナショナリズムが彼の使命感を燃え上がらせ、17年間日本辞書編纂という一事に邁進した。
ひとりで辞書1冊を作るような人物として、1日中家にこもって黙々と本を読んでいる姿を想像するが、幕末の激動の時代の中で京都に行ったり江戸に忍び込んだりと、なかなか行動的だったようだ。
そして苦労の末、国語辞書「言海」が完成するが、すぐには発刊できないということで、彼は自費で4冊出版した。
数年後「言海」は出版され、その近代的なスタイルと意味の本質に迫るキリッとした名文づくしで、「読める辞書」としても絶大なる人気を誇り版を重ねた。また日本辞書史上に一時期を画す不朽の名著として学問的にも高く評価され、以後国語辞書の範となった。
他国に遅れをとってはならないとする明治政府の方針として、まず国語辞書を編纂し国内の教育に力を入れていることは、今の日本を考えるとき大いに参考になるのではないか。
企業においても業界や他社を知ることは重要だが、自社を知ることがより重要であり、そのためには社員の教育は必須項目である。


大槻文彦のことば  「およそ事業はみだりに興すことあるべからず。
             思いさだめておこすことあらば遂げずばやまじの
             精神なかるべからず」 


大槻文彦の本  言海 (ちくま学芸文庫)言海 (ちくま学芸文庫)(当時の復刻版)
           言葉の海へ (同時代ライブラリー (341))言葉の海へ (同時代ライブラリー (341))大槻文彦の伝記)