支えている人の存在   

福井・内堀公園の小楠と公正

きょうは幕末明治期の政治家 由利公正(ゆりきみまさ、旧姓 三岡、通称 八郎)の誕生日だ。1829年生誕〜1909年逝去(79歳)。
福井藩士の子として生まれ、母の家計のやりくりから財政のもとを学ぶとともに、剣術・槍術などの習得もしたようだ。1851年に熊本藩士である横井小楠が来福し”経世済民(世を治め民を救う:略して経済)“に共鳴した。養蚕など特産物の産業の振興をはかって富を蓄える”殖産興業“を推進したり、藩札を発行して生産者に融資した改善策が成功し、多大な借金を抱える福井藩の財政を黒字にした。
それにより坂本竜馬に才覚を見出され、新政府の今で言う財務大臣に抜擢された。倒幕を果たした新政府財政も、福井藩同様苦しいものであり、政府初の紙幣の発行により財政再建をはかった。また彼は明治政府の施政方針”五箇条の御誓文“の起草にもかかわった。
その後1871年初代東京府知事に就任、翌年 岩倉遣外使節団に加わり欧米を視察、帰国後は元老院議官や貴族院議員を歴任した。
もともと数字に強い人のようだが、人との出会いにも恵まれ、その人の長所を素直に受け入れ、自分なりの解釈を加え実行に移す才能があったようだ。
明治維新では前面に出て華々しく活躍する人物がどうしても有名になってしまうが、公正のように裏方として財政を支えている人の存在を忘れてはいけない。
企業においても同様で、前面に出て働く人もいればバックアップに徹する人もいて、お互いが信用しあって助け合わなければ事業は成立しない。


由利公正の本  由利公正のすべて由利公正のすべて
           炎の如く 由利公正