ツキに恵まれていた   

新千円札の元

きょうは世界的に有名な細菌学者 野口英世(幼名 清作)の誕生日だ。1876年生誕〜1928年逝去(黄熱病で殉職 51歳)。
貧しい農家の長男として生まれ、1歳半の時いろりに落ち左手に大やけどを負い、家業の農業をを継ぐことができなかった。いじめられたりするが学業は優秀で、医者になろうと上京する。医術開業試験に受かるが左手のやけどのため開業医になることはできず、24歳で渡米し医学の研究で数々の実績を残す。
アメリカでは3時間しか眠らず徹底的な実験を行い実験マシーンと言われながらも、3度もノーベル賞の候補に上がる研究成果をあげた。しかし第一次世界大戦によりノーベル賞授与が見送られた不運があったり、時代は細菌学からウイルス学への移行が始まっていて、間違った研究発表も少なからずしている。
語学が堪能で英・独・仏語の原書を3ヶ月で読むようになったり、中国への船旅の間に中国語をマスターしたらしい。渡米のきっかけも来日した米国の教授を案内したことだった。
真面目な努力家のように思えるが、私生活ではアルコール依存症であり、アメリカ人の妻ともうまくいってなかったようだ。またお金を借りることの名人で、友人や知人からの借金を踏み倒したり、結婚詐欺まがいのことをしたり、金が手に入ると派手な遊びに使うなど、金銭感覚がルーズだったようだ。借金は今に換算すると2億5千万円ぐらいといわれているが、ほとんど返していないようだ。
彼が借金の天才だったと言うことは、それだけ人を説得する力があり交渉力があったということだろう。また人との出会いや、チャンスにめっぽう強く、いわゆるツキに恵まれていたと言うことだ。最後にたった1回だけ、黄熱病にはツイていなかった。
ウィルスの存在という新しい流れがあったにもかかわらず、細菌に固執した結果が最終的には天才野口を死に至らしめている。やはり流れをうまく取り入れて、それに対応できなければ存続できないと言うことか。


野口英世の最期のことば 「私には わからない」
野口英世の本  野口英世は眠らない野口英世は眠らない
           正伝 野口英世
野口英世の映画  遠き落日 [VHS]