仕事が分業化されて   

佐久間象山

きょうは幕末の思想家、洋学者、科学者 佐久間象山(さくま しょうざん、本名:国忠、幼名:啓之助)の誕生日だ。
1811(文化8)年生誕〜1864(元治元)年逝去(53歳)。

信濃国(現 長野県)松代藩に生まれた。父 佐久間国善は下級武士であったが、藩中第一の剣術の腕前で算術にも明るく易学にも優れる文武両道に通じた優秀な武士だった。母は農民の出身だったが驚くほど優れた記憶力を持っていたようだ。象山は幼少のときから特に目立った存在であったようだ。

象山は16歳のとき、藩老の鎌原桐山の門下生となって経書儒教の教え:四書五経など)を教えてもらい、漢学のほか数学にも深い関心をいだき、町田源佐衛門と宮本市兵衛の二人を師と仰いで、このころ熱心に数学を学んでいる。一方では易にも凝っていたようだ。

1833(天保4)年22歳のとき、志を立てて江戸へ行き、当時 第一人者とさえ言われた佐藤一斎の門をたたき朱子学と詩文を学んだ。その後の彼の生涯に重大な影響を及ぼした朱子学的な思考方法はこの間に養成された。
3年後、故郷信濃へ帰った象山は、御城付月並講釈助を命ぜられ、学問をもって松代藩真田家へ仕えることとなった。

1837年「大塩平八郎の乱」をみて、「学政意見書」を藩に提出して陽明学の弊害を述べ、朱子学の再興を主張して、1839(天保10)年 江戸神田に私塾「象山書院」を開いた。天下騒然としてきた江戸において、象山は天下の学者と交際しながら識見を養うとともに、自己の名声をおのずから高めていった。

1840年にアヘン戦争で中国がイギリスに敗れたことに強い衝撃を受け、その原因を思想や学問のあり方の問題として捉えた。そして中国と同じ失敗をしないことを課題として、西洋諸国に関する認識を改めることに力を尽くした。

1842年31歳の時、老中となった藩主真田幸貫より「海防掛」を命ぜられるや、海外事情を研究し「海防八策」を建言、江川太郎左衛門から洋式砲術を学び、蘭学に傾倒した。刻苦勉励し、様式砲術はもちろんのこと、広くヨーロッパの学問を学び成果をあげていった。

この頃の象山の活躍は非常に多彩である。1843年 郡中横目付として、洋学によって殖産興業策を行うことを松代藩当局に建議。1844年 蘭学者として高名の黒川良庵から蘭学を学ぶ。利用掛として、山村の開発に取り組むが、農民の強硬な抵抗にあって失敗。1853(嘉永6)年 米艦の来航により軍議役を命ぜられ、「急務十条」を作成し老中の阿部正弘に献上。
一方、ガラスを製造し、1848(嘉永元)年にはオランダの砲術の原書を読破し自力で大砲の鋳造に成功。幕府にオランダ語彙の辞書「増訂和蘭語彙」の出版計画を出したが却下。牛痘種の導入を企図。・・・。

象山は非常に進歩的な科学者であり、日頃から「日本人は世界で一番優秀な民族だ。にもかかわらず、文化が遅れているのは科学が無いからだ」と考えていた。
特に電気に興味をもった象山は、オランダの百科辞典を入手し、いろいろな実験を行っている。象山は、銅線(どうせん)に絹糸(きぬいと)を巻いた絶縁電線や電池を作った。また、電池とコイルを使って誘導電流を起こし、日本人として、初めて電流の研究をした。
今から見ると簡単な実験だが、象山はひとりで外国の本を読みながら研究を続けたようだ。しかし、象山は電気の研究よりも、国を変革することで走り回り、科学を盛んにするためには鎖国を止め開国することが大切だと説いた。

象山はロシアのピョートル1世(大帝)の数々の優れた業績を知って驚嘆し、門弟の吉田松陰を外国に密航させて優秀な科学知識などを学ばせ、帰国後はこれを駆使して国内改革に役立てようと志したが、この計画は失敗し、1854(安政元)年 松陰とともに象山も連座して江戸小伝馬町に投獄されてしまった。
1862(文久2)年51歳の時、蟄居を解かれた。1864(元治元)年 幕命で上洛し一橋(徳川)慶喜に謁し公武合体論と開国論を主張したが、その開明的言動のため、同年7月に尊攘派志士によって京都三条木屋町で暗殺された。

象山の開国論は、西洋の科学を学び国力を盛強にして国家の体面を保ち、戦わずして外国を屈服させようとするものであった。この考えは「東洋の道徳、西洋の芸術」という言葉に集約されており、道徳と芸術(この場合は学問技術)とを融合する説の先駆であった。

象山の門弟には、勝海舟坂本竜馬小林虎三郎吉田松陰らがいた。妻は勝海舟実妹 順子(1836〜1908年)で17歳のとき象山と結婚、象山が尊攘派に暗殺された後は、瑞枝と改名し実家に戻り兄のために家政に努めている。

象山はいろんなものに興味を持ち、疑問に思ったことは自分ですぐやってみないと気がすまない性格だったようだ。それはモノづくりの場合に限らず、政治的なことも同じだったようだ。しかしこれが結果的には彼の命を縮めることになってしまった。

何ごとも実施はタイミングが重要だが、現代のように仕事が分業化されている場合は、いろんなことに手をつけようとしてもなかなかできないかもしれない。しかし仕事は分業化されていても、知識は多岐にわたっているほうが発想が豊かになる。
また、そのアイデアを現実化するためには、プロジェクトの編成により可能になる場合が多い。


佐久間象山の本
  省〔ケン〕録 (岩波文庫 青 14-1)
  日本の名著 30 佐久間象山/横井小楠
  評伝 佐久間象山〈上〉 (中公叢書)(下)
  小説 佐久間象山〈上〉 (朝日文庫)(下)
  佐久間象山―幕末の明星
  東洋道徳 西洋芸術―佐久間象山の生涯
  佐久間象山と科学技術
佐久間象山と科学技術東洋道徳 西洋芸術―佐久間象山の生涯佐久間象山―幕末の明星評伝 佐久間象山〈上〉 (中公叢書)