勘のような何か   

自画像

きょうはフランスの画家 アンリ・マチスの誕生日だ。
1869年生誕〜1954年逝去(84歳)。
フランス北部ル・カトー=カンブレジに雑穀商の長男として生まれた。パリで法律を学び、代訴人書記として地元の法律事務所で働いていたが、21歳のとき盲腸炎をこじらせ1年近く療養生活を送った。その時に母から贈られた油彩具が絵画の世界に入るきっかけとなった。
画家を志し、1895年エコール・デ・ボザール(官立美術学校)でギュスターブ・モローに師事し、そこでルオーらと知り合った。
1905年35歳のとき、サロン・ドートンヌに出品した作品が世の注目を集め、「フォーヴィズム(野獣派)」と呼ばれた。
野性的で大胆な色感による原色の対比と、形象を単純化することにより率直な表現をした作品群で、個性的な筆法を示す独自の様式を生み出し、20世紀の絵画運動の新境地を切り開いた。
1907年38歳のとき、パリにアカデミーを設立し、多くの後進を育成した。
1916年から冬はニース、夏はパリで過ごす生活を送った。
晩年は更に色や形の単純化に磨きがかかり、後の抽象絵画などに大きな影響を与えた。
その後、1941年以降は南仏ヴァンスに定住して、切り紙絵にも打ち込んだ。
母親が贈った油彩具が大画家へのきっかけになっているのだが、その時母親は息子の才能を見出していたのだろうか。たぶん勘のような何かがあったはずだが、母と子の信頼関係が才能を呼び覚ましたのだろう。
企業においても、部下の才能を見出すことは上司の大きな役目であるが、それに応える素直さが部下の役目でもある。上司と部下の日頃からの信頼度が計られる要素だ。


マチスのことば
  「私が夢見るのは、いわば肉体的疲労をいやす
    座り心地のいい安楽椅子のような芸術である」
  「絵を描き始めると私は光り輝いたように自由な気分になった」


マチスの本
  アンリ・マチスの「誕生」―画家と美術評論の関係の解明
  マチスの肖像マチスの肖像
  マチスについての手紙マチスについての手紙
  マチス―線と形の画家 (名画の秘密をさぐる (6))













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