存在を薄くさせる   

林忠彦

きょうは写真家 林忠彦の誕生日だ。
1918(大正7)年生誕〜1990(平成2)年逝去(72歳)。

山口県徳山町(現 周南市幸町)に生まれた。徳山尋常高等小学校を経て、徳山商業高校を卒業後、大阪長堀橋の中山正一写真館へ修行に出されたが、過労から肺結核になり、帰郷し入院生活を送った。この頃、下松市のアマチュア写真クラブ「猫之目会」に入会、林城民の写真ネームで頭角を現し、いつもクラブの上位入選をした。1938(昭和13)年20歳のとき朝日新聞主催の「躍進大徳山風景写真競技会」で最高賞の推薦を受賞した。

1939(昭和14)年、上京しオリエンタル写真学校に入学。卒業後、田村栄の紹介で加藤恭平主宰の東京光芸社に入社。主として内閣情報部編集の宣伝誌「写真週報」に写真を掲載した。1941(昭和16)年23歳の時、日本報道写真協会の会員となった。1942(昭和17)年 加藤恭平、石津良介らと日本大使館の外郭団体として「華北弘報写真協会」を設立し、宣伝写真を撮った。

1945(昭和20)年27歳のとき北京で敗戦を迎えた。宣伝用スチールをすべて焼却し、要請をうけて国民政府機関へ撮りためたネガ数万点を提出した。翌年、郷里徳山へ引き揚げるが、その後上京し、北京時代の知友 吉田潤と組み、復刊あいつぐ雑誌社を回って受注し、旺盛な撮影活動を再開した。この頃、銀座の酒場「ルパン」で織田作之助太宰治坂口安吾らを撮った。太宰との巡り合い、それは林忠彦の運命を決める瞬間になった。

1947(昭和22)年 写真グループ「銀龍社」を赤穂英一、秋山庄太郎植田正治、緑川洋一らと結成した。太宰治らを撮った文士シリーズが評価された。全盛のカストリ雑誌を含めて二十数誌の発注を受けて社会風俗派の寵児となった。
 カストリ雑誌:粗悪な体裁の大衆雑誌。主として風俗を扱った。

1950(昭和25)年32歳の時「日本写真家協会JPS)」創立に企画担当として加わった。1953(昭和28)年 二科会に写真部を創設、秋山庄太郎大竹省二、早田雄二と創立会員となり、終生アマチュア育成に努めた。

以後、女相撲二科会の新星 織田広喜、ミス・ユニバース・コンテスト、ニューヨーク、新・平家物語などをテーマに撮り続けた。
各誌に、小説のふるさと、カラー日本百景、女流作家カメラ紀行、東京通信、旅へのいざない、現代の旅、今日の女性、盛り場の人気者、日本のチベット・北上山脈の農民たち などを連載・発表した。

1961(昭和36)年43歳の時、日本写真家協会副会長となった。1971(昭和46)年53歳で日本写真協会年度賞を受賞、同年、日本写真協会理事に就任した。
1973(昭和43)年 第1回海外写真ツアーを主催(タイ・シンガポールなど東南アジア)し、以後16年間に34回を重ねた。

1980(昭和50)年62歳のとき文革でとだえた日中写真文化交流の復活をはかるため、日本写真文化訪中団(渡辺義雄団長)に加わって中国各地を歴訪した。
1981(昭和51)年 日本写真家協会副会長を辞任し、名誉会員となった。全日本写真連盟理事に就任。

1985(昭和60)年67歳のとき肝臓がんを告知されたが、生涯最後の作品を<東海道>と思い定め、残された生命と競うように四男 義勝の協力で撮影を再開した。「死んでたまるか!執念のシャッター」など、ライフワークに挑む執念の<東海道>撮影を各誌が特集した。
1990(平成2)個展「林忠彦の時代」のオープニング会場で倒れ、入院した。72歳だった。2年後、アマチュア写真振興で「林忠彦賞」を創設された。

林忠彦は人間愛に満ちた温かい眼差しで捉えた作品を撮り続け、日本写真史に燦然と輝く不世出の写真家であり、作品の素晴らしさもさることながら、その人情味あふれる人柄で、今なお人々から親しまれ続けている。
特に人物写真は、カメラを意識すると本当の姿が撮れないので、いかにしてカメラとカメラマンの存在を薄くさせるかが腕の見せ所でもある。

改善活動での作業調査においても、作業者が改善担当者を意識すると、現実が把握できなくなり、効果的な改善ができなくなってしまう。最初は機械そのものの調査をしたり距離を測定しながら、作業者の緊張を和らげる必要がある。作業者と改善担当者の信頼関係が重要になってくる。

林忠彦の写真
            
   太宰治 銀座ルパン   煙草をくゆらす戦災孤児  妙喜庵待庵、床


林忠彦の本
  林忠彦写真全集
  東海道―林忠彦写真集  
  文士の時代 (朝日文庫)
  カストリ時代―レンズが見た昭和20年代・東京 (朝日文庫)
  海と岬と島 自然歳時記 新日本百景(2) (新日本百景 全4巻)
  評伝 林忠彦―時代の風景
  写真する旅人―林忠彦対談集
評伝 林忠彦―時代の風景海と岬と島 自然歳時記 新日本百景(2) (新日本百景 全4巻)東海道―林忠彦写真集林忠彦写真全集