ルールで拘束する   

山頭火

きょうは放浪の俳人 種田山頭火(たねだ さんとうか 本名:正一)の誕生日だ。1882年生誕〜1940年逝去(57歳)。
山口県防府市の大地主の家に生まれた。父親は役場の助役なども務める顔役的存在だった。11歳の時、母親が自宅の井戸で投身自殺をし、これが一生の心の傷となった。
小学校を首席で出たが、大学は強度の神経衰弱気のため中退した。その後家業の造り酒屋が父親の放蕩と自身の酒癖のため破産し、父と弟の死にもあった。妻子を連れ熊本市に移住し古本屋を営むがうまくいかず、妻子を捨てて東京へ出た。ここでも人間関係のむつかしさから長続きせず、関東大震災にも遭ったことから、熊本の元妻のもとへ逃げ帰った。
彼は生活苦から泥酔して進行中の電車に飛び込む自殺未遂を起こし、かつぎこまれた禅寺でそのまま仏門に入ったようだ。

その後西日本を中心に生涯にわたる物乞い流転の旅に出た。四国遍路の旅の途中、松山にある寺の納屋を改造し「一草庵」と名付けて住み、ここで脳溢血となり念願のころり往生を遂げた。
「無駄に無駄を重ねたやうな一生だつた、それに酒を注いで、そこから句が生まれたやうな一生だつた」と言っていたそうだ。
妻子を捨て、世間を捨て、自由を愛し、酒を愛し、さすらいの旅を続け、質の高い自由律俳句を生涯に約八万四千句詠みすてており、「昭和の芭蕉」といわれている。自由律俳句の平易で飾り気のないことばが、独特の雄大な雰囲気をかもしだし、しみじみと心にしみとおる句となって、没後半世紀以上経た今日でさえ、共感するところがあり変わらぬ人気がある。
彼にとっては自由律の俳句が合っていたのだろうが、放浪の旅もあわせて、数々の不幸からの精神的な逃避であったに違いない。
業務においてもあまりルールで拘束すると創造的なアイデアは出にくくなってしまう。ある程度は自由な雰囲気の中で、前向きな発想をのみ心がけるとすばらしいアイデアが出やすくなる。


山頭火の俳句
  「分け入っても分け入っても青い山」
  「ふりかへらない 道をいそぐ」
  「まったく雲がない笠をぬぎ」
  「何を求める風の中ゆく」
  「行き暮れてなんとここらの水のうまさは」
  「さて、どちらへ行かう風がふく」


山頭火の酒酔い
  「まず、ほろほろ、それから ふらふら、
     そして ぐでぐで、ごろごろ、ぼろぼろ、どろどろ」


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